[PREMIER英雄列伝 #03]UEFA杯決勝でなにもできなかった男はチェルシーのスーパーエースに成長した インパクトが強烈すぎる厚くて高いドログバの壁

試合開始早々に戦意喪失 使いものにならなかった

お馴染みのセレブレーションでゴールの喜びを爆発させる photo/Getty Images

 2004年5月、筆者はUEFAカップ(現ヨーロッパリーグ)決勝のマルセイユ対バレンシア戦を解説するため、スウェーデンのヨーテボリを訪れていた。

 決勝前日の18日、ホテルでバレンシアの記者会見が開かれたが、天候不順によってスペインからの飛行機が遅延。出席者はラファエル・ベニテス監督(現エヴァートン)ただひとりで、ロベルト・アジャラやパブロ・アイマール、サンティアゴ・カニサレスといった主力は、コンディションを優先して休養をとることになった。

「 時間を守れず、選手も出席できずに申し訳ない」

 ベニテスは謝罪した。間髪入れずに、メディアから質問が飛ぶ。

「マルセイユで最も警戒している選手は!?」

「やはりディディエ・ドログバだ」

ベニテスの答えに、スペイン・メディアがざわついた。彼らはドログバを知らなかったようだ。

 18年前の彼は、その程度の知名度だった。フランスで活躍していたとはいえ、スペイン・メディアのレーダーにはほとんど捉えられていない。筆者も試合前日の公開練習で、「どの男がドログバ!?」との質問を数人に受け、「青いスパイクを履いている大柄なアタッカーだよ」と答えた記憶がある。

 しかし、バレンシアは警戒するまでもなかった。試合開始早々、空中戦でアジャラの頭突きを後頭部に食らうと、ドログバは戦意喪失。ほとんど使いものにならず、マルセイユは0-2で敗れ去っている。

反則まがいのチャージをさらりと受け流す余裕も

強靭なフィジカルで、当時リヴァプールでプレイしていたキャラガーとシュクルテルのプレスにもビクともしないphoto/Getty Images

 04年7月、ドログバはマルセイユからチェルシーに新天地を求めた。ジョゼ・モウリーニョ監督(当時)たっての希望で、この移籍が実現したという。ただ、繰り返すがUEFAカップ決勝の印象は芳しくない。大柄でスピードもあるとはいえ、頭突き一発で意気消沈するような選手がプレミアリーグで通用するはずがない、と筆者は考えていたのだが……。

 スウェーデンで見たドログバは幻だったのか。いや、筆者の目が節穴だったのだ。

 ドログバは堂々と、相手センターバックを見下ろしてプレイしている。反則まがいのチャージをさらりと受け流す余裕も漂わせていた。モウリーニョ曰く、「活躍して当然」。

 また、FKを得る手段のひとつとして用いたシミュレーションも、ジョン・テリーとフランク・ランパードに叱られて反省した。

「ペナルティボックス周辺のFKはビッグチャンスにつながる。でも、プレミアリーグでは嫌われた。『紳士的とはいえない行為だから、チェルシーのサポーターも敵にまわすぞ』って、ジョンとフランキーにこっぴどく怒られた。ふたりとも、怒ると怖いんだよ」

 後にドログバは、恥ずかしそうに語っていた。

 テリーとランパードのアドバイスもあり、レフェリーを欺くようなプレイは少なくなっていった。むしろ、天性のフィジカルを活かすようになっていった。ファースト・ディフェンダーの仕事も全うし、相手のボールホルダーを必死に追いかける姿を、何度も何度も目撃した。

 その後、チェルシーでは11-12シーズンまで8年間プレイし、1シーズン復帰を果たした14-15シーズンを含めると4度のリーグ優勝に貢献。エルナン・クレスポやアンドリー・シェフチェンコといった定位置争いのライバルには一歩も引かず、公式戦通算381試合出場。164ゴール・87アシスト。さらに06-07シーズンと09-10シーズンには得点王に輝くなど、強烈すぎるインパクトを残している。

 ドログバがチェルシーを1度目に去った12年夏以降、多くのストライカーがやって来たが、だれひとりとして長くは輝けなかった。彼の壁は厚くて高い。ロメル・ルカクはどこまで迫れるだろうか。

 UEFAカップ決勝でなにもできなかった青年は、チェルシーのスーパーエースに成長した。後継者は、そう簡単に見つからない。

文/粕谷 秀樹

※電子マガジンtheWORLD263号、11月15日配信の記事より転載

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