“怪物ロナウド”に勝てなかった者たち アモローゾ、エウベルらブラジル5人のスーパーFW

ブラジル代表をW杯制覇へ導いたロナウド photo/Getty Images

成績は凄いのに有名になれなかった者も

バルセロナ、インテル、レアル・マドリードなどで活躍し、2002年に行われたワールドカップ日韓大会でブラジル代表を優勝へ導いた元祖怪物ロナウド。世界の誰もが認める史上最高級ストライカーだが、当時のブラジルにはロナウド以外にも優れたアタッカーが数多くいたのだ。

ただ、世間の注目はすべてロナウドに集まった。英『Planet Football』は、ロナウドが凄すぎたことでスポットの当たらないFWたちがいたと振り返る。

例えばロナウドの2歳上のFWマルシオ・アモローゾだ。1996年、ロナウドより1年早くイタリア・セリエAにやってきたアモローゾはウディネーゼのエースとして活躍。ロナウドは1997年にインテルへ加入するが、1998-99シーズンのセリエA得点王に輝いたのはアモローゾだった。

当時のアモローゾはワールドクラスのプレイヤーが集まっていたセリエAで22ゴールを記録。元アルゼンチン代表FWガブリエウ・バティストゥータ(21ゴール)を抑えての得点王獲得だった。この時ロナウドは14ゴールに留まっており、数字だけで見ればアモローゾが上だった。

その後アモローゾはパルマを経由し、2001年にドイツのドルトムントへ。初年度の2001-02シーズンから18ゴールを奪う活躍を見せ、ブンデスリーガでも得点王を獲得。ドルトムントもリーグ制覇を達成した。

しかし、当時ブラジル代表を指揮していたルイス・フェリペ・スコラーリはセリエAやリーガ・エスパニョーラに比べ、ブンデスリーガをあまり評価していなかったという。結果的に2002年のワールドカップではメンバーに入れず、代表通算成績は19戦9ゴールで終わっている。

ドルトムントで活躍したアモローゾ(手前) photo/Getty Images

当時はブラジルからとんでもない点取り屋が欧州へやってきていた

ロナウドより3歳上のジャルデルも特別な才能を持っていた選手だ。ジャルデルの場合は5大リーグでの活躍こそなかったが、ポルトガル国内リーグではスポルティング・リスボン、FCポルトなどで通算79戦79ゴールという驚異的な数字を記録。ポルトガル国内リーグでは得点王を5回も獲得している。

またポルト在籍時の1999-00シーズンには、チャンピオンズリーグでも10ゴールを記録。これは元ブラジル代表FWリバウド、元スペイン代表FWラウール・ゴンザレスと並び、そのシーズンの最多得点数だった。チームもベスト8まで進んでおり、当時のジャルデルが特別だったのは間違いない。

しかし、ジャルデルもブラジル代表では10試合しかプレイできなかった。同メディアは得点パターンは怪物ロナウドより豊富だったとまで評価しているが、日韓大会の1年前に行われたコパ・アメリカ2001で目立った成績を残せなかったのが痛い。そこで結果を出していれば、日韓大会にも参戦できたかもしれない。

ロナウドより6つも年上にはなるが、フランスのリーグ・アンで活躍していたソニー・アンデルソンはどうだろう。モナコ、リヨンの両方でリーグ・アン制覇を達成し、1996-97シーズンにはリーグ・アンMVP、さらにはリーグ・アン得点王を3回獲得している点取り屋だ。

1999年から2003年までプレイしたリヨンでは160試合で94ゴールの成績を残しており、ビジャレアル在籍時の2003-04シーズンにはUEFA杯で6ゴール奪って大会得点王に輝いたこともある。当時はビジャレアルもベスト4に入っていた。

代表では日本も参加したコンフェデレーションズ杯2001に参加していたのだが、ここで結果を残せず。そう考えると、当時のブラジルは前線の面子は凄まじかった。特大の成績を残さなければメンバーに入ることはできない。

ロナウドが1996年から1年間プレイしたバルセロナでは、同じブラジル人アタッカーのジョバンニもいた。あまり覚えている人は多くないかもしれないが、攻撃的MFもこなしたジョバンニはバルセロナで107戦35ゴール10アシストとまずまずの数字を残している。

ただ、ロナウドのインパクトが強すぎた。ブラジル人選手としてはNo.2になってしまい、その後バルセロナにやってきた指揮官ルイ・ファン・ハールとも相性は良くなかった。ジョバンニには1998年のワールドカップメンバーに入っていたが、日韓大会は入れず。同メディアはロナウドと被らなければ、バルセロナでスーパースターになった可能性もあると振り返っている。やはり当時の怪物と一緒になってしまうと霞んで見えるものだ。

最後はジオバネ・エウベルだ。主にシュツットガルト、バイエルンのエースとしてブンデスリーガで活躍したエウベルは、バイエルンでブンデスリーガ制覇を4度、チャンピオンズリーグ制覇を1度、2002-03シーズンにはブンデスリーガ得点王も獲得した。

代表でも15試合で7ゴールと見事な成績を残しており、日韓大会へ向けた南米予選も数試合こなしている。しかし、本大会でのメンバー入りは叶わなかった。ブンデスリーガでの成績は十分すぎるものだが、さすがにロナウドには及ばないか。

近年は欧州リーグで得点を量産するブラジル人ストライカーが減少傾向にあるが、以前はブラジルやアルゼンチンからやってくる助っ人は強烈な選手ばかりだった。その中にはロナウドやロナウジーニョといった選手たちの陰に隠れる格好となった者もおり、当時のブラジル代表はメンバー争いも熾烈だった。これだけの数字を残しながら、この5人を知らなかったというサッカーファンもいるかもしれない。

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