「一生ミランにいるつもりだった」稀代のレジスタ・ピルロ 泣きながらユーヴェに移籍した2011年の夏

ピルロ氏のミラン最終年となった2010-11シーズン photo/Getty Images

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ユーヴェ復権に大きく貢献した

彼を引き留めることはできなかったのか。現在トルコのファティ・カラギュムリュクで指揮官を務めているアンドレア・ピルロ氏は、ミランを退団した2011年当時の裏側を語っている。

2001年にインテルからミランへと移籍し、その後大きく羽ばたいたピルロ氏。中盤の底からチャンスを生み出すレジスタとして活躍し、2度のリーグ優勝や2度のチャンピオンズリーグ制覇を経験した。

しかし、2010-11シーズンを終えるとピルロ氏はフリーでユヴェントスへと移籍。ミラン最終年は怪我で多くの試合を欠場したが、新天地で復活すると、すぐさまチームの中心となった。2015年夏に退団するまで4シーズン在籍し、セリエA4連覇やチャンピオンズリーグ準優勝などを味わっている。
そんなピルロ氏は、伊『Corriere dello Sport』のインタビューでミラン時代のチームメイトであるマッシモ・アンブロジーニ氏と対談。ミランを去った理由についてこのように明かした。

「30歳を超えたから1年契約にしてくれという話だった。君(アンブロジーニ)もそうだったと思うし、サンドロ(アレッサンドロ・ネスタ)からリーノ(ジェンナーロ・ガットゥーゾ)までもが1年契約を結ぶ。彼ら(ミラン)にはこういった考え方があった。私はもっともっとそこにいたいと思っていたから、私たちがこの条件で合意することはなかった。泣いたのは私たちの知るところだ。私は一生ミランにいるつもりだった。去った理由はいろいろあるが、もっとお金が欲しかったとか、他の場所に行きたかったからという訳ではない。(30代とは言え)まだ若かったからもっと契約年数があってもいいと思っていた。あと数年はそこにいるチャンスがあると思ったんだ」

ピルロ氏を始めとする経験豊富な主力たちが次々と去っていったミランは次第に低迷していき、チャンピオンズリーグどころかヨーロッパリーグにも出場できない時期があった。財政的な事情などもあったかもしれないが、ライバルクラブのユヴェントスであれだけ活躍されるくらいであれば、ルールを覆してでもピルロ氏との契約を延長するべきだったのかもしれない。

※記事中に誤りがございました。「サンドロ」について「サンドロ・トナーリ」と表記しておりましたが、正しくは「アレッサンドロ・ネスタ」でした。ここにお詫びし訂正させていただきます。

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