ミケル・アルテタがアーセナルの監督に就任し、5年目のシーズンを迎えている。コンセプトにあった選手を迎え入れることでチーム作りは年々進み、昨シーズンは終盤まで首位に立っていた。しかし、たしかに若い選手たちは躍動したが、シティとの直接対決に敗れるなど失速し、優勝することはできなかった。
今シーズンはデクラン・ライス、カイ・ハフェルツといった即戦力が加入し、序盤こそ試行錯誤していたが新たなカタチが見えつつある。チームの充実は守備力に表れ、シティにはクリーンシートで勝利。新守護神ダビド・ラジャのロングフィードに、ライス、ハフェルツの加入で生まれた攻撃のバリエーションなど、確実な進化をみせている。
新戦力も加え、バージョンアップした“アルテタ・ボール”。ついに20季ぶりのタイトルを、アーセナルが奪うときがやってきた。
ライスらの加入で実現した“昨季超え”の可変システム
惜しくもタイトルを逃したアルテタ監督は、昨季以上のチームの完成度を目指す photo/Getty Images
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ここ数年、アーセナルは2019-20から指揮官を務めるミケル・アルテタの志向にあった選手を獲得することでチーム力を高めてきた。順位、勝点の変動に積み上げてきた結果が出ており、19-20の8位(勝点56)にはじまり、8位(勝点61)→5位(勝点69)→2位(勝点84)と右肩上がりで成長を続けてきた。
この間、効果的な補強を行ってきたわけだが、かの“インビンシブルズ”の無敗優勝以来20季ぶりのリーグタイトルに向けて、今シーズンはクラブ史上もっとも高額の資金を費やして戦力を整えている。新たに獲得したのは4人で、1億500万ポンドを費やしたといわれるMFデクラン・ライスを筆頭に、GKダビド・ラジャ、DFユリエン・ティンバー、MFカイ・ハフェルツが加わった。
このうちティンバーは開幕戦でヒザの前十字靭帯を負傷して長期離脱となったが、ラジャ、ライス、ハフェルツは第16節を終えて2位につける今シーズンのアーセナルのなかで主力となっている。ラジャは序盤戦こそ出場がなかったが、第5節エヴァートン戦に起用されるとそこからポジションをつかみ、正守護神の座に収まった。
システムはこれまでと同じく[4-3-3]。昨シーズンまでトーマス・パルティが務めていたアンカーにライス、グラニト・ジャカがいた左インサイドハーフにハフェルツが入った。しかし、もはやこうした表記が意味をなさないほどに攻撃のカタチはコレクティブに変形する。SBの選手がペナルティエリアで攻撃に絡むことも、アーセナルでは珍しくない。
開幕当初はトーマスが右SBを務め、攻撃を仕掛けるときはトーマスが「偽SB」となってアンカーに入り、その前方にマルティン・ウーデゴーとライス。両サイドのワイドなポジションにブカヨ・サカとガブリエウ・マルティネッリ。前線にはガブリエウ・ジェズスとインサイドハーフからひとつポジションを上げたハフェルツという実に攻撃的なカタチで戦っていた。
アルテタは数年前からこの可変システムに取り組んでいて、これまでは左SBのオレクサンドル・ジンチェンコがポジションを中盤の真ん中に寄せて攻撃を厚くすることに努めてきた。しかし、偽SB戦術がサッカー界全体に浸透するなかで位置的な優位性はもはやなく、アルテタはそれを超える可変システムを構築するために腐心。それが後述する複雑なビルドアップのカタチなどに活かされている。
トーマスの右SB起用も、こうした戦術の精度を高める狙いがあったと考えられる。いわばバージョンアップを施した“アルテタ・ボール2.0”。序盤は試行錯誤のあとも生々しかったが、昨季通りの戦い方ではいずれ対策されるときがやってくる。昨季を超える完成形をアルテタは作り出そうとしているのだ。
やがてチームは攻守ともに安定。とくに攻撃では前方への推進力、圧力を増していった。
新加入ライスとラジャが守→攻にバリエーションをもたらす
獲得に約181億円の移籍金を費やしたライスは、金額に見合うプレイを見せている photo/Getty Images
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ライスに関しては、期待通りのパフォーマンスをしている。中盤での潰しが早く、なおかつボールをロストせずに素早く味方につなぐことができる。自分で前方に運ぶ力もあり、視野が広くキックの精度も高いため効果的なラストパスを出せる。
アーセナルはSBが高いポジションだけでなく、中央に入ってくることがある。そのときに自分がどのポジションを取るか。特に左SB(ジンチェンコ、冨安)は中盤でビルドアップに参加するだけでなく、PA内まで攻撃参加することも稀ではない。このときにライスは後方でスペースを埋め、いざ相手ボールになったときにすぐに潰せるポジションを取っている。
それだけではなく、相手が自陣の3分の2までに全員が入り、守備を固めているようなときは逆に自分も高いポジションを取り、積極的にゴールを狙う。すでに3ゴールとウェストハム時代以上に攻撃性を発揮しており、こんなにゴールに絡める選手だったのかと驚いている人も多いはずだ。第16節までのシュート数「21」はハフェルツやジェズスよりも多いほど。第4節マンチェスター・ユナイテッド戦、第15節ルートン・タウン戦などで終了間際に試合を決める決定的なゴールを奪っているのもライスだ。
戦況によって自分の対応を変えられるタイプで、これによってジンチェンコ、冨安、ホワイトらのSBはもちろん、CBのガブリエウ・マガリャンイスなども自由に攻撃参加するようになっている。
敗戦となった第16節アストン・ヴィラ戦(0-1)でもガブリエウ→ジンチェンコ→ハフェルツと素早く縦につなぎ、ハフェルツのクロスをウーデゴーがフリーでフィニッシュしたシーンがあった。CB→SB→インサイドハーフが縦に素早くつなぐ?と一瞬疑問に思うが、アルテタのもとでこうした連携・連動に取り組んできたことで、いまのアーセナルは攻守ともにバランスが崩れない安定感があるチームに仕上がっている。
新加入のGKラジャを守護神とすることで、ビルドアップの精度も増している。ラジャはGKとしては小柄だが、足でのボールタッチはフィールドプレイヤーと遜色がない。CBガブリエウが左に開き、ラジャがその位置まで上がってボールをさばいていくシーンが今季はよくみられる。そのとき左SBはもう中盤にポジションをとっており、ライスは逆にボールに近づいていく。これにより複数のパスコースを作り出し、相手のハイプレスを回避して疑似カウンターのようなカタチにもっていくこともある。
ラジャにはいわゆるGKっぽい高さや身体の強さはないが、俊敏性やキレがあり、セービング能力は高い。なにより攻撃につなげるロングフィードが正確で、前述のビルドアップのカタチをあえてすっ飛ばして1本のタテパスでフィニッシュにつなげることもできる。アーセナルの両翼にはサカ、マルティネッリがいる。この2人だけでなく、ガブリエウ・ジェズス、エディ・エンケティア、マルティン・ウーデゴー、ハフェルツ、レアンドロ・トロサールといった攻撃の選手たちはいずれも常に裏抜けを狙っている。
アーセナルにはアーロン・ラムズデールという良質なGKもいるが、フィードの能力を考えたときにラジャのほうが彼らの特長をより生かせるというアルテタの判断であり、ラジャの存在も攻撃にバリエーションを加えているといえる。
最少失点に見える勝者のメンタリティ
エヴァートン戦で決勝点。流れを変えるジョーカーとしてトロサールの存在も重要 photo/Getty Images
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チームの充実度は守備にも表れるもので、第8節シティとの対決にも1-0でついに勝利。アーセナルはここまで15失点でリーグ最少失点タイとなっている。シティを相手にほぼ互角のポゼッション率を誇り、相手のシュートをわずか4本、あのアーリング・ハーランドにも決定的なチャンスを与えなかった勝利で、チーム全体での守備力を示した一戦となった。
この守備の安定は、アーセナルの好成績に直結した。シティ戦だけでなく、第5節エヴァートン戦(1-0)、第13節ブレントフォード戦(1-0)など、苦戦しながらも最後に勝ちきれる試合が増えたことが非常にポジティブで、どうしても脆弱さが見え隠れした今までのアーセナルとは一線を画している。英『Evening Standard』紙では、シティ戦後にサリバとガブリエウの両CBコンビが「マスタークラス」と称賛されたが、これは守備陣だけではなく、チーム全体に勝者のメンタリティというものが備わってきた証左ではないか。
難しい試合を勝ちきれているなかで、攻撃面ではチームのジョーカーといえるトロサールの貢献度も見逃せない。わずか5試合の先発ながら3ゴール1アシスト。エヴァートン戦で途中出場から決勝ゴールをもたらしたり、第12節バーンリー戦で攻めあぐねるなか前半のATに先制点を奪ったりと、流れを引き寄せるような重要なゴールも多い。「出れば結果を残す」といえるほど信頼性のある選手で、今季はCF、左ウイングのほかにインサイドハーフで出場するポリバレント性もいかんなく発揮している。
継続性のある強化+良質な選手の補強によって、アーセナルは各選手が連携・連動して可変システムを使いこなすチームとなっている。20年ぶりの優勝に向けて、態勢は整った。ただ、昨シーズンは終盤になって失速している。より高度に、強固にバージョンアップしたアルテタ・ボールは、ついにプレミアを制覇するのか。もうひと山、ふた山を越えた先に、目指すゴールは見えてくる。
文/飯塚健司
電子マガジンtheWORLD(ザ・ワールド)288号、12月15日配信の記事より転載