2000年代のインテルでストライカーとして活躍したアドリアーノ氏は自伝『Meu Medo Maior』の出版を前に自身のキャリアと現在の生活について赤裸々に語った。『The Players Tribune』で伝えている。
サッカー界で”皇帝”の愛称で親しまれたアドリアーノ氏は全盛期だった当時、イタリアの地で眩いほどの輝きを放ち、サッカー選手として最高の時間を過ごしていた。それでも、プロ選手としてのストレス、愛する父親の死、そして抜け出せないアルコール依存といった出来事がアドリアーノ氏の人生に暗い影を落とし続けてきたという。
「私が14歳の当時、コミュニティのみんなとパーティーをしていた時の出来事だ。 たくさんの人がいて、サンバを踊っていた。 その時の私は酒を飲んだことが無かった。 でも、周囲の人たちがみんな笑いながら酒を飲んでいるのを見て、初めてプラスチックのコップにビールを入れた。 薄く苦い泡がのどを伝っていく初めての味は格別で、 新しい快楽の世界が目の前に広がったんだ。母はパーティーに夢中で、その様子を黙って見ていた」
「父はどうだったか?私の飲酒を知った父はそれを許さなかった。『今すぐ止めろ!』と怒鳴られた。私の手からコップを奪い取り、溝に投げ捨てた。『息子よ、そんなことは教えていない』と彼は言い、父方の祖父がアルコール中毒で亡くなったことを明かしてくれた」
その後サッカーの実力を見出され、リオデジャネイロのファヴェーラ(貧民街)を抜け出し、世界最高峰の舞台であるセリエAのスターダムへと駆け上がっていった。中田英寿氏らも在籍していたパルマでその才能を開花させると、一度は放出したインテルが2004年にアドリアーノを再獲得、一気に”怪物”ロナウドの後継者として名を馳せていくことになる。
しかし、2004年のインテル移籍の裏で、父親の死というアドリアーノ氏の人生にとって最悪の出来事が起きてしまった。
「父の死の4年前、父は頭を銃で撃たれた。クルゼイロのパーティーでのことだった。流れ弾が額から入って後頭部に突き抜けた。その後私の家族の生活は一変し、父は頻繁に発作を起こすようになってしまった。てんかん発作を起こしている人を見たことがあるか?見たくはないだろう、兄弟。本当に怖かった。そして2004年に心臓発作が原因で、44歳で彼は亡くなった。それが私の人生を大きく変えたんだ。いまだに解決できていないトラウマなんだよ」
その後、最愛の父を失ったアドリアーノ氏を待っていたのは、名門クラブのストライカー故の批判や誹謗中傷、そしてそれによって発症した鬱病とその事実に目を背けるためのアルコール依存だった。
「数週間は元気に過ごし、アルコールを避けて馬のようにトレーニングしたが、いつも(アルコール依存が)再発した。何度も、何度もだ。世界中から批判されて、もう耐えられなかったんだ。みんなバカなことばかり言っていたよ。『アドリアーノに700万ユーロの価値はない』私が一番聞いた言葉はそれだった」
ジェットコースターのようなキャリアを経て、現在42歳となったアドリアーノ氏はファヴェーラに戻り、落ち着いた暮らしを取り戻したという。
「ここの生活はいつも厳しい。人々は苦しんでいる。暴力的な死を遂げた知人を数え上げたら、ここで何日も何日も話し続けることになるだろう。それでも私はここで裸足になり、シャツを脱いで短パン一丁で歩くことに決めた。舗道に座ったり、子供の頃の話を思い出したり、音楽を聴いたり、友達と踊ったり、地面で寝たり。これ以上私に何をしろと言うんだ?私はただ落ち着いていたいし、自分の本来の姿を思い出したいだけなんだよ。だからここに戻ってくるんだ。ここに住む彼らは僕を大切にしてくれている」
アドリアーノ氏は、今年の12月15日にブラジルのマラカナンスタジアムでサッカー選手としてケジメをつけるための引退試合を発表している。貧民街で余生を過ごすことに決めた皇帝が表舞台に現れるのは、もしかしたらこの試合が最後になるのかもしれない。