ボーンマスFWエヴァニウソンが語る「母の死と-5℃のスロバキア」 諦めかけた男が再びサッカーを愛した場所とは

ボーンマスのエヴァニウソン Photo/Getty Images

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スロバキアで再起

ブラジル出身のエヴァニウソンは、スロバキア2部の小さな町で凍えた手を温水に浸していた。リオデジャネイロの強豪フルミネンセからローン移籍した彼にとって、そこはキャリアの転換点となる場所とは到底思えなかったようだ。しかし、母の死という悲劇を乗り越え、再びサッカーへの愛を取り戻したのは、この極寒の地だった。そして、その後の彼のキャリアは、FAカップ準々決勝でマンチェスター・シティと対戦するという舞台へと繋がっていく。『THE Sun』が伝えている。

25歳のエヴァニウソンは、2018年1月にスロバキアのサモリンに到着した時の衝撃を鮮明に覚えているようだ。以下のように語っている。

「40度のリオを離れて、マイナス5度の場所へ行った。雪を見たのは初めてで、順応するのはとても大変だった」
「初めてトレーニングしたときは、寒すぎてセッションを終えることができなかった。手袋を着けることの重要性を理解していなかったから、終わった後は手が凍りそうだったからお湯に手を入れたよ」

しかし、エヴァニウソンの心を最も凍てつかせたのは、母マダレナさんの死だった。13歳で故郷のフォルタレザを離れ、フルミネンセのアカデミーに入団しただけでも辛かったが、17歳で母が突然亡くなると、彼はサッカーを完全に諦めかけてしまった。

「母とは本当に親しかったので大きな衝撃を受けた。フォルタレザに戻ったが、リオに戻ってプレイする気はなかった」

しかし、家族とクラブの説得により、彼は再びリオに戻り、そしてスロバキアへと旅立った。サモリンには、フルミネンセU-17時代の恩師グスタボ・レアル氏や、ローン移籍の若手選手たちがいたため、助けになったようだ。

「3、4人だったから、完全に一人ぼっちというわけではなかった。それは良かった。誰もその言語を話せなかったから、みんなで固まって行動した」

「3人で一緒に暮らし、掃除や料理、皿洗いなどを交代で行い、毎日ブラジル料理を食べた。それは私たち全員にとって本当に豊かな経験だった。私はそこから大きく成長したと感じている。それは私をサッカー選手として定義づけた。私は再びサッカーに夢中になったよ」

サモリンでの出場はわずか6試合、3ゴールに終わった。しかし、ヨーロッパの全く異なるサッカーのスタイルや、大人の男たちと対戦することの肉体的な厳しさを学んだことは、彼の成長に大きく貢献した。ブラジルに戻ったエヴァニウソンは、フルミネンセU-20で大活躍。その後、ポルトを経て、2023年夏にはボーンマスのクラブ記録となる移籍金3150万ポンドでプレミアリーグに挑戦している。

「常にプレミアリーグでプレイすることを夢見ていた。ボーンマスのことはほとんど知らなかったが、到着してからは非常に感銘を受けている。クラブが素晴らしいプレゼンテーションをしてくれた。他のクラブからもオファーがあったが、ボーンマスのオファーが最も心を惹きつけた」

「ポルトの元チームメイトたちも、ボーンマスのプレイスタイルに感銘を受けている。私に合っている。フィジカルと高度なテクニックの組み合わせが必要とされるからだ」

「私の次の目標はヨーロッパでプレイすることだ。ボーンマスでチャンピオンズリーグに出場したい。私たちはそれができると非常に楽観的に考えているよ」

困難を乗り越えた先に待っていたのは、プレミアで活躍する輝かしい未来だった。この活躍は母の元へ届いているだろう。

「母はいつも私の心の中にいる。いつも母に祈っている。母はいつもそばにいると感じている」

エヴァニウソンは、極寒のスロバキアでサッカーへの情熱を取り戻しただけでなく、人間としても大きく成長した。そして、その経験は、プレミアリーグで活躍する輝かしい未来へと彼を導いている。今後のエヴァニウソンに注目したい。

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